「プーチン×安倍首相会談の“惨敗”はウソ」? ロシア研究者・小泉悠が日露関係を解説
ロシアの“言い分”と本当の狙い
モーリー:
そして、もう一つ、安倍さんが持ちかけたいのは、一種の安全保障における日露のツープラスツーでしたっけ? そういう協力関係を作りたいと。
小泉:
それについては、まさに、プーチンさんは読売新聞の独占インタビューだとか……。あとは日本に来た時に東京で行われた記者会見の場で産経新聞の阿比留さんがプーチンさんにちょっと挑発的な質問をしましたよね?
「日本が譲歩するばかりで、ロシアは一体何を譲歩してくれるんですか?」と彼が言ったら、プーチンさんはその場でヘッドセットを外してニヤリと笑い、「阿比留さんっていいましたね?」と指差してから、ものすごく長い演説を行ったんですよ。しかも、非常に愛国的で、終わった後にはロシア人記者から拍手が起こるような、そんな迫真の演説を行ったわけですけど。
この、独占インタビューと阿比留さんへの回答の中でプーチンさんは何を言ったかというと、「日本は“アメリカの同盟国”じゃないですか。アメリカに対して、同盟条約上の義務を負っているじゃないですか」って言ってるんですよね。
つまり、何を言っているかというと「日本と約束したことについて、どこまで日本は独自に守れるんですか? ロシアと敵対しているアメリカと軍事同盟を結んでいる日本は本当に領土交渉を出来る相手なんですか?」っていうのがロシア側の言い分なんです。
モーリー:
「経済協力や経済投資をする手前で、どうして経済制裁してるの?」ってことも言ってましたね。これも同じ論理ですよね。つまり、「経済制裁を解除しろ! あわよくば日米同盟も弱めてその隙にロシアを入れるくらいの覚悟を持て! そうしないと話は進まない」と、そういう宣言にも聞こえるんですけど。
小泉:
もしかすると、ロシアもそれくらいのことまで“言ってくる”かもしれませんけど。ただ私は、日本というのは基本的に西側の国なんであって、日米同盟を安全保障の基軸にしているわけですから、そこまで飲むべきではないと思うんですよ。
あるいは、ロシア側が言ってきていると“伝えられている”話として、「北方領土は日米安保第五条(集団安全保障)の対象外にしろ」というのがありますが。それに関しても、同盟というのはそんなふうに「ここは適用する。ここは除外する」とかそんなものじゃないと思うんですよ。やっぱり、どんな場合であっても、日本の領土に侵略があった場合は必ず発動されるから、集団安全保障になるわけですよね? 私はそんなもの飲むべきではないと思いますし、実際、ロシア側も日本をそこまで自分たちの側に引き寄せられるとは考えていないと思います。
モーリー:
レトリックとして“言ってみた”という感じですか?
小泉:
そうですね。ロシアとしても、まずハードルの高い要求を突きつけてきて、でも、実際に落とし込みたいラインがあるわけですよね。じゃあ、そのラインとは一体どこなのか、なんですけど。今回、プーチンさんは山口にいっぱい大臣を連れてきましたよね。その山口で、会談が終わった後、ラズロフ国務大臣が決まったことを発表しているんですよ。そこでロシア側が言っていたのが、さっき仰った「ツープラスツーを再開しようということをロシア側から働きかけた」と。そして「それに対して日本側も前向きな反応がありました」と言っているわけですね。日露ツープラスツーって実は2013年に一度やってるんですよ。だから、「これをまず再開しましょうよ」と。
2013年まで、海上自衛隊とロシアの太平洋艦隊が、毎年、合同捜索救難訓練(サレックス)というのを毎年やってきたわけですね。というふうに、「ある程度まではこれまでも日露間で安全保障協力をやってましたから、領土云々の話をするなら、まずそこを再開しましょうよ」というのが、ロシア側の主張の最低ラインですね。
で、もう一つ上の要求として、「もう少しロシアが安心できるような協力関係を結びましょうよ」と、ロシアは必ず言ってくると思うんです。プーチンさんは日露の関係について、しきりに中国の例を出してくるんですよね。それは10月のインタビューでも、今回の読売の独占インタビューでも言ってますけど、「中露は40年掛けてやったんです」と。
ご存知のように、70年代・80年代の中ソというのは、国境近くに100万人の兵力を張り付けて核戦争も辞さないという態度で軍事対峙してたわけですよね。そういうところから、「国境地帯には兵力を配備しないようにしましょう」とか、「軍事演習する時は相互に通報しましょう」とか――
モーリー:
なるほど、つまりビルドダウンしていったんですね。
小泉:
まさにそうです。コンフィデンス・ビルディング・メジャーズ(信頼醸成措置)と言います。「中国とはこれまでそういう信頼を積み重ねて来たから国境問題も解決できたんですよ」というのがロシア側の言い分なわけですよ。「安倍さんとプーチンさんが16回会った? だからなんなのですか」と、ロシア側からすればそういう話になりますよね。
ロシアはヨーロッパ(NATO)ともそういうことをやっているんですよね。考えてみればロシアは、西側とも中国とも信頼醸成措置や軍事緩和措置をやってきてるんですよ。だったら、NATO並み中国並みに同じことは出来ないかもしれませんけど、ある程度のことまでは、私は北方領土周辺についてもやれると思うんですよ。たぶんロシアが最終的に要求してくるのも、その辺じゃないかと思うんですね。
だから、まずはツープラスツーに合意する。それができれば、外務大臣と防衛大臣という安全保障政策の責任者が直接話し合えるわけなので、そういった信頼醸成措置のフォーマットも出来るんだろうなと思いますね。
ロシアとの友好関係は対中牽制にはなり得ない?
モーリー:
これは産経新聞の記事にあったんですけども、「日露関係について安倍さんの側から急接近しているように見えるのは、やはり中国を念頭に置いている」という見立てについてはどう思いますか?
小泉:
私もそれはそうだと思うんですよ。ただ、産経新聞的な言い方でよく言われるような「それによって中国を挟み撃ちだ! 対中牽制だ!」というものについては、ロシア側の視線をちょっと読み違えてると思うんです。
というのも、ロシアからアジアを見た場合、日本と中国、どちらの存在感が大きいかというと、圧倒的に中国なんですよ。それは、平時の経済的交流もそうですよね。今の中国は、ドイツやオランダと並ぶロシアのNo.1か2くらいの貿易相手国ですし。もし軍事的に敵に回さざるを得なくなったら、中国を敵にするほうが嫌に決まってると思うんですよ。となると、ロシアとしては本当にクリティカルな状態になった時に、日本の味方になるとか、中国の敵に回るという選択肢はないはずなんですよ。
とすれば、日本がロシアに期待できるのは、精々、平時における発言権の強化であるとか、政治的な下支え。あるいは、有事の際にロシアが“中立”に回ってくれる。このくらいまでが日本が望みうる最大限のラインなんだと思うんですね。で、おそらく安倍政権も、それくらいのことはわかっていて「そのくらいの関係を築ければいいだろう」と考えているんだろうし、ロシアもそれ以上は踏み込む気はないと思います。
モーリー:
日本のロシア・スペシャリスト以外の人達が、やたらとこの「中国を挟み撃ちにするパートナーになるかも!」とか、「4島全て返ってくる! 少なくとも2島は返ってくる!」という、まるで恋する乙女みたいな一方通行の過剰な期待を持つのはなぜなんでしょうか? どういう装置が作動してるの? どうしてみんなもっと冷静に見ないんでしょう?
小泉:
誰かがディスインフォメーションしたり世論誘導したりしてるのかってことについては、私は日本社会に詳しくないのでわからないんですが。でも、少なくともロシアに対して安全保障上の過度な期待を抱いてしまうというのは、やはり「中国の台頭に対してどうしていいかわからない」という日本人の恐怖心があるからじゃないかと思うんですよね。
モーリー:
要するに、中国の脅威に対して現実的なソリューションや冷徹な現状分析をできないツケを希望的観測に変えてロシアにしわ寄せしてるだけにも見えるんですけど。
小泉:
そうじゃないかと思いますよ。僕はまさにその“対中牽制論”をこないだ新聞で読んだんですけども。その前半は「日露のツープラスツーが再開するかも」って話だったんですね。ところが、その新聞では記事の後半の方に行くと、特に根拠もなく「中国の北極海進出にロシアは脅威を抱いているので、日本を引き込んで対中牽制するんだ!」という結論になっていたんですよ。でも、どこをどう読んだらそんな結論になるのかわからないんですね。
モーリー:
たぶん、その記事を書いた記者の人は、ものすごく気持ちよく書いたんだと思いますよ(笑)。
小泉:
そういうところはあると思いますね。中国がどんどん軍事的にも経済的にも、そして政治力まで付けてきて。日本もそんなに国力が上がらないという状況で。しかも、アメリカも不安定化してて、どうしたらいいんだろうっていう時に、そういった希望的観測でバイアスを掛けて対外関係を見てしまうんだと思うんですよ。
モーリー:
アメリカに対しても、時々、「トランプ政権の出現によってアメリカはレーガンの時代に戻って、世界秩序を一新するんだ!」みたいに、すごく日本中心に見た世界地図で語る人がいるんですよ。要は、アメリカはこれまで日本に対してブーストを掛けてくれた。しかし、久しくそれがなかった。アメリカは衰弱した。
ところが“壊し屋”トランプがやってきて、共和党でも民主党でもない、本当の草の根の力を元にした巨大インフラをぶち建てる。そして、その恩恵に日本もあやかれる……みたいな、キラキラキラーンって論調に引きずられていく人達がいるんですよね。やっぱり、似てると思うんですよ。
小泉:
うーん、もしかしたら、同じ人たちが言ってる可能性もありますね(笑)。まあ、実際、そうやってキラキラキラーンってなる皆さんの認識が、行動や現実を形作る部分もあると思うので、良い結果となることもあると思うんですが。国内の経済の話だったら、日本人の主観が現実を構成するから、もしかすると日本人が楽観的になったら景気も上向くみたいな話もあるかもしれませんけども。
ただ、外交安全保障や対外政策は“相手”がいるわけですよね。しかも、ロシアみたいな、ユーラシアの主要部から世界を見ている非常に独特なものの考え方をする連中を相手にする場合には、やっぱり、そういう楽観主義は通じないと思うんですよね。