『シン・ゴジラ』成功要因は“役者に演技をさせなかったこと”アニメ・特撮研究家が大ヒットの理由を読み解く
国内で興行収入82億円を売り上げ、日本アカデミー賞では作品賞や監督賞など主要部門を独占した『シン・ゴジラ』
4月2日配信の『岡田斗司夫ゼミ』では『シン・ゴジラ』の成功要因を岡田斗司夫氏と、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏が考察。「役者さんがパーツとして超効率よくはまっているんで、あの密度感になってるんだと思うんですよね。」と、持論を展開した。
『シン・ゴジラ』ってアニメでしょ?
岡田:
仰っていた『シン・ゴジラ』ってアニメでしょっていうのが面白くて。ちょっとそれを伺いたいんですけど。
氷川:
庵野さんがもちろんアニメの監督をやっているっていうのはあるんだけど、世界観の構築だとか、最終的な作り方、世界をどういうふうに見るか、あるいは見せるかっていう部分の考え方が、やっぱりアニメなんじゃないですかね。たまたまパーツが実写の役者さんなだけでね。
岡田:
パーツが役者さん。つまりアニメーションでいうキャラのセルの部分が、役者さんなだけであって。
氷川:
しかも今回は、たまたまって言ったけど、役者さんという生が、パーツとして超効率よくはまっているんで、あの密度感になってるんだと思うんですよね。僕は、完成するまでに、手前のやつをいっぱい見ているんで、アニメのセルみたいに演技させずに、喋らせているだけで、不満を持っているんじゃないのかなと、ちらっと思った瞬間もあったりしたわけなんですね。止めセル口パクみたいなのが多いじゃないですか。
岡田:
あー! そうか! 『シン・ゴジラ』の演技って、止めセル口パクだった。
氷川:
多いでしょ。
岡田:
はいはい、そういうふうに言われればそうですね。
氷川:
6割7割のカットはそういうとこなんで、普通だったらもっと間を取ったり、演技を。
岡田:
演技やらせてあげますよね。
氷川:
というんじゃなくて、これはもうソリッドにいきますからね。必要な情報を必要なタイミングで、必要なものだけ下さい、っていうような。
岡田:
日本のアニメが、止めセル口パクになったっていうのは、アニメーターに演技させるなんて贅沢っていうのかな、そういうのを期待してないからですよね。
氷川:
アニメで演技させると失敗の確率が高くなるからですよ。アンコントローラブルになるということですよね。コントロールしたいっていう意識を持っているかどうかっていうのは、さっきのアニメかどうかの瀬戸際で。
岡田:
画面全部をコントロールしたいという欲望が強いと、映画作りというのは、アニメにどんどん近づいていくと。
氷川:
だけど一般論的に、ライブアクションというくらいで、ライブっていうのは、生のことなんですね。生ものなんですよ。
その生って何ですかっていうと、役者の持っている偶然性とか、生理とか、そう言ったものをこのお題の中で、役者に振ったときに出てくるものっていうのを、カメラっていう、料理に対して調理器具みたいなもので、どういう風に切りとっていくかっていうことを積み重ねていって、あとで編集で編み上げるっていうのが、ライブアクションなんですよね。
だから撮られたフィルムのことをショットっていうでしょ。ショットってシュートの過去分詞じゃないですか。つまり狩猟みたいにして、生のモノを生素材を。
岡田:
ジビエなわけですね。その場でとれたものを活用する。
氷川:
それをあとで編集でどうやって料理するのかってことになる。アニメの場合は、最初っから、
岡田:
絵コンテがあって。
氷川:
絵コンテが、さっきの料理のレシピみたいな形になってて、今回の場合は、『シン・ゴジラ』はそこは面白くって、コンテに相当するプロビズは作っているんですよ。特撮に相当するCGパートは、それを結構そのまま持っていってるんですよ、大爆走のところは演習シミュレーションをして、ビデオコンテみたいなものがあるんですけど、現場でドンドン変えていっているんですよね。
だからハイブリッドになっているんですよね。最終的にはね、ただそのハイブリッドに持っていく直前まで、今言ったアニメの手法で一回完尺(かんじゃく)みたいなのを出しているんですよ。