「手描きアニメは廃れていくが残していきたい」庵野秀明・川上量生・西村義明が鼎談『メアリと魔女の花』の背景美術に込めた想いを語る
アニメーション背景の“情報量”
西村:
アニメーション背景について川上さんは著書で、情報量の事を書かれていたと思うんですが、描き込む、描き込まないというのは、情報量?
川上:
僕はそういう認識です。
庵野:
僕もです。アニメーションの画面は情報量です。情報のコントロールが出来るというのが、アニメーションの一番良い所です。アニメの場合はいらない物は描かなければ良い。キャラクターの目がパチパチして、口が動いているだけで、その人がそこに居るとお客さんが感じてくれるんです。
川上:
アニメーションの現場では、皆、「情報量」って言うんです。お客さんが画を見て、何を思うのかっていうのが情報量なんですけれど、それは単純に線の数を増やせば良いという事ではないんです。お客さんが画面を見る時に、パッと目が行く所と、あまり視線がいかない所があって、視線が行かないところは徹底的に手を抜く。それが上手い人じゃないと出来ないんです。
西村:
お客さんがどこを見るかというのは、技術的な側面とは別のものですよね。男鹿和雄さんは、優れた背景美術を沢山描いているんですが、どうしてこんな背景が描けるんですかと話をした時に、「アニメーション映画の主役はキャラクターで、美術は主役ではないから、目の前に見たものを描くとダメなんです。普段から観察する中で、目の端っこで捉えた物を描くと上手くいくんですよ」って。
背景はあくまで背景。背景が主役になっちゃいけない。ただ、目の端っこで描くって言われても、理解し難いですよね。
川上:
人間がどういう風に画を認識しているのか、どう脳に情報量が入っていくかを再現するように描くという事ですね。
庵野:
『画面のコントロール』っていうのがあって、例えば3秒12コマのカットがあって、お客さんがどれだけ認識してくれるか。例えば、7コマというのは人が認識する最低限のコマ数で、7コマの中に認識できる情報量を与えていれば、お客さんはそれで満足するわけですよ。でも、7コマの中に情報量が多すぎてさっぱり分からないという人もいるし、このコマ数にしては、何もなかったなと思う人もいる。お客さんにどう感じてほしいのか、それをなるべく誤差を作らずに、見せていくためのコントロールにはアニメーションが一番向いているんです。
庵野:
僕が『風の谷のナウシカ』の時に、なるほどと思ったのが、宮崎駿さんが一点透視とかを凄く嫌がるんです。宮崎さんは同心円で描けって言う。だから、宮崎さんのレイアウトって、本当にいい加減なんです(笑)。でもそれが良いんですよ。宮崎さんのレイアウトは、宮崎さんにしかとれないんです。
西村:
実際のパースペクティブとは違う空間を描いてますよね。人には世界はこう見えているというのを表現するのがジブリのレイアウトでした。
庵野:
宮崎さんのレイアウトはそうだった。でも、高畑勲さんはそういうのは許さない。高畑さんはカッチリ描く人。宮崎さんの良い所は、自分が描けないレイアウトは描かせないし、面倒くさいと思ったら、面倒くさくないカットに変えちゃうんです。高畑さんは自分ではカットを描かないので、絵描きに強要します。そこが高畑さんの凄い所なんだけど。
川上:
自分が描かないと、強要できる(笑)。
庵野:
宮崎さんの場合、「じゃ俺が描く」っていうから、アニメーターも「じゃ宮崎さん描いて下さい」ってなる。
西村:
この2人の差って、すごく興味深いですよね。鈴木敏夫プロデューサーが、「宮さんは自分が描くから、ある範囲のことしか要求しない。でも、高畑さんは自分が描かないから皆に高次元のことを要求し続ける。そうすると、結果的に高畑さんの現場だと人が育つ」と仰っていました。
庵野:
まぁ、宮崎さんの下にいると、自分で描けてしまうから人が育たないですよね。
あ、こんな事を言っちゃいけなかったね(笑)。
一同:
(笑)